LAND ROVER ランドローバー 賛歌

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History Of the Land Rover

世界に刻んだ50年の足跡

         初めから海外市揚を狙ったポスト・ジープ 

第二次世界大戦が終わった1945年のイギリス、ローバー社は中型サルーンカーのメーカーとして設立された。 当時のイギリスは、日本と同様に重工業を中心とした戦後復興を目指しており,政府は白動車産業に対しても輪出用製品の製造を奨励しもローバー杜は拠点をコヴェントリーからソリハルに移し、大幅.生産能カを向上させたばかりであり、これまでの戦略を変更せざるをえない時期に差しかかっていたのである、 ローバー社は新戦略車として、2シーターの700Mモデル・M1を投入したが、中型、大型車の市場が中心だった海外では受け入れらず.49年からはP4の生産が主流となっていたところが、ソリハルでは以後のメーカーの方向性を決定する、 ある動きがあったのである。当時の技術部長たったモーリス・ウィクルは、アングルシーという所に土地を持っており,戦争終結で余ったジープに乗っていた。 ある日、専務だった兄のスベンサーに、ジープが乗れなくなったらどうするのか?と、訊ねられたモーリスはこう答えた。「またジーブを買うだろうね、代わるものもないし」これがキッカケとなって、ローバー社は軽量で案用性の高い4WDの開発を始めたのである新型車は既存のクルマの部品を多用し、シャシーとトランスミッションはジープのものを流用、当時のスチールの配給制限の間題をクリアするために、アルミ製のシンプルなボディ搭載していた。「ランドローパー」と名付けられた試作車第-号は47年に組み立てられ、その年の9月には48年に開催されるアムステルダム・モ-ターショウで発表する新型車の開発を重役会で決定し、このブロジェクトは急連に動き始めた。 発表当時のランドローバーは、80インチのホイールベースを持つP3・60サルーンをべ-スに,1・6Lのガソリンエンジンを搭載したオープンの小型トラックモデルのみだった。 このクルマはフルタイム4WDで、前輪のフリーホイールハブ、4速ギア十サブトランスファー、そしてPTOを装備。定置型動力源としても使えるよう考慮されていた。ちなみに、「あらゆる仕夢に対応する農民のメイド」というのが初期の商品コンセプトだった。  ランドローバーは物品購買税の課税対象外だったということもあり、発表から3年で生産台数1万6000台を達成。69年にはついに5万台を越えるに至ったのである。   新型乗用車が開発されるまでのツナギ的存在だったランドローバーは,ローバー社の主カモデルにまで成長してしまった。

 

伝統の踏襲と挑戦そして4WDの頂点へ 

1955年に登場した、107インチの4ドア・ステーションワゴン初のロングホイールベースモデ'ルである。 斬新なコンセプトで1970年に発売された初代レンシローバー初期は2卜'アのみだった。 49年にイギリス軍が正式車両として採用したことから、ランドローバーの勢いはさらに増した。 50年には従来のフルタイム4WDに代わって、ローで4WD、ハイで2WDか4WDの選択が可能なパワートレインが採用された。 52年にはエンジンが1・6Lから2Lに排気量アップされ、54年にはホイールベースが86インチに拡大、さらに55年には、初の4ドアステーションワゴンの107インチモデルが発売された。 このホイールベースは、58年モデルで88インチと109インチに拡犬され、 同時にローバーが初めて開発した2Lディーゼルも搭載されることになる,シリーズ1は58年までに20万台か生産され、シリーズ2に道を譲った。 シリーズ2は、シリーズ1のスタイリングを基本的には踏襲しながらも、曲線を帯びたサイドパネルや、それまでなかったサイドスカートなどを持っていた。 現在のディフェンダーにも受け継がれる基本デザインは、すでにこの時完成していたのである。 ガソリンエンジンはモデルチェンジで2.3Lに変更され、 ディーゼルも61年には排気量アップされた。 シリーズ2は登録3年でモデルチェンジをおこない、その改良型がシリーズ2Aである。 この時期はフオワードコントロールと呼ばれるキャブオーバー型のトラックが登場した頃でもあった。 63年には109インチのステェーションワゴンをベースとして、積載量のアップを主眼とした初のフォワードコントロールが登場。 これはいまひとつ売れ行きだったが、66年には110インチにフイールベースを延長した改良車、シリーズ2Bが投入される。 これは2.6Lの6気筒ガソリンエンジンを搭載した初のランドローバーでもあった。イギリス軍の要請でエアボーン作戦向けの軽量モデルライトウェイトが開発されたのもこの時期である。

68-69年にかけて、シリーズ2Aは最後の仕様変更を実施する。 様々な市場の法的規制をクリアするために、ヘッドランブをラジエターグリルからフェンダーに移動したのが、それである。  翌年の70年には、ランドローバーにとって歴史的な出来事があった。 レンジローバーの発表である。 50年代初頭からローバー社は、乗用車とランドローバーの聞を埋めるべく、いくつかのFR・ステーションワゴンを試作した。 その後も、米国メーカーの競合車に対抗すべく、100インチのフルタイム4WD・ワゴンを造っている。 しかし、70年に登場したレンジローバーはこれまでの4WDの概念を覆すほどのインパクトを持っていた。 そのクルマは、強力な3.5LのV8ガソリンエンジンを心臓に持ちリーフスプリングからストロークはコイルに変わっていた。 オフロードも難なくこなすだけでなく、オンロードでも快適に走るレンジローバーの登場は、その後の世界中の4WDの世界に多大な影響を与えたことは言うまでもない。 同時に、4WDの世界に高級いうファクターを加えた、市場の開拓車でもあった。 レンジローバーが華々しいデビューを飾った翌年、シリーズ3が登場。同車は、プラスチックの成形グリルで、初めてのフルシンクロ・ギァボックスを採用していた。


ソリハルでの再出発そして高級化の道

75年、ローバー社は英国レイランド複合企業(BL)のメンバーとなり、事実上国営企業となった。 BL再構築の一還として、78年には独立採算権を持つグループ企業「ランドローバー社」が設立される。 これにより、82年には同社がソリハルを占有し、乗用車部門であるローバーカーショーモデルの製造拠点はオックスフォーソ・カウリーに移された。 75-78年にかけてランドローバー社は、軍専用モデルの3.5LのV8を搭載した101インチフォワードコントロールを製造している。 ちなみにこのエンジンは79年になってようやく民生用に転換され、それまでの直6ヱンジンに取って代わった。 このモデルで、現在のような一直線のフロントマスクになったのである。 80年代はランドローバーにとって、激動の時期である。 それまでスイスMonteverdi社でカスタムメイドされていたレンジローバーの4ドアが、 81年にはカタログモデルとして追加,82年にはATがオブションとじて設定され、
さらに初の高級限定車「ボーグ」が登場する(後にカタログモデル)。 さらに82年には5速M.Tが標準装備となった。 この頃、いわゆる高級グレードが続々と登場し、ランドローバーでも「カウンティ」ステーションワゴンが投入されている。 そのランドローバーは、83年に伝統のリーフスブリングからコイルに変更。この最初のモデルは109インチからホイールベー.スを延長した110インチモデルだった。 このモデルは、基本的なスタイリングは79年のV8搭載車に似ているが、グリルの意匠が新しいものになっていた。翌年には90インチ・モデルが登場。 パワーユニットには2.5Lディーゼルが新たに加えられ、 3.5LV8,2.3L直ガソリンと3タイブが揃っていた。 直4は85年に2.5Lに排気量アップしている。 90/110シリーズ併売を続けていたシリーズ3だが、85年にはついに生産中止となった。 この時期のランドローバーは、ランドクルーザーやパトロールといった日本車にシェアを奪われていた。
対して、レンジロ-バーはイタリア製のディーゼルを措載したことにより、ますます人気が高まり、87年の年間生産台数は2万台を記録している。 とは言え、ランドローバー社を取り巻く状況は厳しいものであった。 お荷物だったBLの民営化を望むイギリス政府は、ランドローバーとレイランドのGM売却を
提案、これは議会によって却下きれることになり、ランドローバを中心としたローバーグループとして再出発するはずであった。 しかし88年、続局グループはブリティッシュエアロスペース社
売却されてしまう。80年代を通して、ランドローバー社は大幅な企業改善をおこない、巨費を投じて生産施設の変更をおこなった。その結果、生産されるランドローバーも順調に改良され、 レンジローバーはより高級の道をたどった。


新たな市場を確保した次世代ランドローバーたち

80年代最後の年、ヨーロッパを中心とした市場を日本車から奪回する切り札、ディスカバリーが投入される。このモデルは世界的に拡大するレジャー指向に則したもので、シャーシーをレンジローパーと共有していた。 当初に3ドアだけであったが、90年には5ドアも追加。 エンジンほ3・5LのV8と2・52ディーゼルターボを採用じていた。 ディスカバリーの5ドア登場と合わせて、従来の90/110インチモデルにはディフェンダーという名前が与えられた。 これは、車体体系をよリ明確化させる措置であった。 ディーゼルターボを搭載したのも、この時である。 さらに4ドアモデルが主流だったレンジローバーに、2ドアの限定モデルが英国布場で発表された。 このクルマは、原案者シャールズ・スペンサー・キングにちなんで、CSKと名付けられた。なお2ドアのレンジローバーは、94年生産の輪出用を最後に姿を消している。 92年にはパンデンプラと呼ばれるロングホイールベース車が発売され、     新型の4.2LV8エンジンか搭載された。 いまではべーシックとなった電子制御のエアサスが初めて採用されたのも、このモデルからである。なんとか英国資本を守り続けてきたローバーグループだったが94年についにBMW社に売された。 それまで密月関係だったホンダとの提携がこれにより解消されたことは、まだ配億に新しい。 その数ヶ月後には、レンジローバーが第2世代にバトンタッチ。 この新型車は4Lと4・6LのV8ガソリン、そして奇しくもBMW社製の直6ディーゼルを搭載していた。 従来モデルは「クラシック」として継続生産きれていたが、96年ついに26年間の幕を閉じている。 日本ではオートバイオグラフィという配念モデルが発売きれた。 95年、ランドローバー社の年間生産台数は10万台を突破。販売台数トッブはなんといってもディスカバリーで、同モデルは2L直4,3.9LV8ガソリンエンジンを採用するとともに、フロントマスク、インテリアの意匠変更もおこなった。 この勢いをさらなるものにするかのように、97年にほ新型車・フりーランダーを発表。 ランドローバーのイメージを大き<変えるそのクルマは、その年のキャメル・トロフィの競技車にも採用されている。 その年、ランド回-バー社は創設50周年を迎えた。 ジープに変わるものを・・・・から始まった長い道握は、決して順風ではなかったが、その轍だけは4輪駆動車の歴史にしっかりと刻まれている。 そしてまた、何事もなかったように走り出していくのである。

そして今、現在の第3世代に、、、

世界中から羨望の、、英国王室からも、、最高峰と賞賛されるニユーレンジローバー。 最先端のテクノロジーの総結集の高級車になった。と同時に間違ってもファショナブルなラグジュリカーとは思えない、弊社でも扱ってるディフェンダー。搭載エンジンはTd5となり、エンジンマネージメントはもとより、アクティブセイフティと称してABS,加えてETCといった電子制御装置が装備されている。これも進化の結果である。英国4WDの正統な流れを汲むディフェンダーには似つかわしくないが、、、、、そんな声も聞こえてくるが、、、


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